依怙贔屓

色々な人と

関わっていれば

依怙贔屓のひとつくらい

しますよね。

何ごとにも

頑張っている人には

応援したくなる。

頼ってきてくれる人には

自分のできることなら

協力したくなる。

悩みや不安なこととか

何でも話してきてくれる人には

相談にのるし

自分の許容範囲内で

アドバイスをしたくなる。

そんなことができる後輩だったら

誰だって可愛いと思えてきて

無意識のうちに

依怙贔屓をしてしまうだろう。

上の立場だから

みんなを平等にするなんて

綺麗ごとです。

それができる人は

なかなかいないと思う。

少しでも会社に貢献しようと

頑張っている人と

会社は二の次なんて思ってる人を

平等に依怙贔屓なんて

できない。

これって当たり前のことでは

ないでしょうか?

依怙贔屓という言葉は

悪いイメージがあるけど

依怙の意味は

頼りにする人を支援する。

贔屓の意味は

特定の人を助けるために

支援して目をかける。

この2つの言葉を統合して

会社的に考えると

近い未来に会社にとって

頼りになる存在の人を見出し

その人の才能や能力の可能性を

支援して助ける、

ということになる。

依怙贔屓は

人を導く手段として

上手く使うようにすれば

良いイメージの言葉にもなる。

結局は

色々な人がいるのに

みんな同じに依怙贔屓するのは

逆に不平等になるのだ。

依怙贔屓は表裏一体。

使う人間によって

善にも悪にもなる。

だからと言って

依怙贔屓することは

やめられない。

ばいなら