嘘も方便⇔気持ちは不敏

ついていい嘘と

悪い嘘がある、、、

なんて言われるときが

たまにある。

この世の中に

ついていい嘘というものが

存在するのであれば

嘘は許されることもある

ということになる。

その許される嘘の基準は

どうやって決めるのだろう。

治らない病気の人に

あなた病気は治りませんと

正直に言ってしまうより

心配しなくても大丈夫だよと

嘘をついてあげたほうが

いいものだろうか。

良いと思っていないものに

気を使って

凄く良いと言ってしまったり

相手のモチベーションを

なるべく下げないために

お前には才能があるから 

もっと頑張れ、、、

なんて言うべきだろうか。

結婚式のときに

永遠の愛を誓いますか?

というふうに聞かれれば

みんな平気で「はい」と答える。

こんなのは全て嘘に聞こえる。

嘘も方便と言うけれど

周りの人たちを

幸せな気持ちにさせる嘘ならば

嘘をついたほうが

いいのかもしれない。 

しかし

みんながついている

嘘というものは

誰かを幸せな気持ちに

するためではなく 

自分を守るためだけの

腹黒い偽善的な嘘を

ついていることが多いのだ。 

その嘘を

嘘も方便という

便利な言葉をに変えて

無意識に自分を守ってしまうのが

現実社会なんだと

思うのである。

ほなまた