濁り水

己の心を水に例えると

間違いなく

己の心は濁り水。

産まれたときは

クリアな水だけど

歳を重ねていくたびに

己が犯す罪とか失態が

クリアな水を濁らせていく。

人は誰でも生きていれば

忘れてしまいたいことや

誰にも言えない秘密を

ひとつやふたつ持つことだろう。

そんなことを

どうにか消し去ろうとしても

罪の全ては

消えないものなのだ。

毎日のように 

自分の体を気づかって

ミネラルウォーターなんかを

飲んだりしても

心はなんだか濁り水。

その濁った心を

何年もかけて 

浄化する努力をすれば

限りなくクリアに近い

濁った水になることだろう。

みんな過去の罪を

背負いながら生きている。

経験が多ければ多いほど

心の水は濁りやすいけど

濁ったぶんだけ

クリアな人を濁らせぬよう  

俺みたいにはなるな、、、と

助言できたりする。

心が濁っていることは

決して悪いことではない。

この先の人生を

濁り水が泥水にならぬよう

生きていくことが

大事なのである。

ほなまた