後付けの理由

後付けの理由は

ときに美しく

そして醜さに変わるときもある。

言い訳の理論的な見解が

後付けの理由になるのかなと思う。

自分がマイナスに

侵食されそうなとき

それを防ごうという後付けの理由が

実に素晴らしいときがある。

しかし

自分が今まで言ってきた

後付けの理由を

ちゃんと覚えておかないと

矛盾が生まれてしまい

美しい理由が醜さの理由に変わる。

そんなことを繰り返してしまうと

薄っぺらい人間のイメージになって

またかよ、、、みたいに思われて

評価が低くなる。

自分を大きくみせようとか

周りからなめられないようにとか

ダメな自分を認めたくないとか

そういう前提があって

さらに

自分を正当化するためのときに

後付けの理由は発生する。

そんな気持ちはどうでもよくて

もっとシンプルな考えで

いいかと思うんですが、、、

誰もが確信を持って進んでいるときは

後付けの理由を示す必要がなく

そんなことを気にする必要もない。

それでも

今の行動や間違いを指摘されたら

ありがとうと言えばいい。

これができる人が素直。 

できない人が素直ではない

ということになる。

どんなしがらみがあろうとも

いつも自分に正直で

そして

素直で謙虚な気持ちを持って

人と接していれば

言い訳や後付けの理由なんか

必要なくなるなと思う。

それがなかなか出来ないのが

人間なんですけどね。

バイチャ