真剣に生きるとか

今まで

真剣に生きた日は

何日あったのだろう、、、

なんてことを思ったりしても

真剣に生きることが

どんなことなのか

イマイチ理解していない時点で

今まで真剣に

生きていない証拠になる。

人に流され日常に流され

そのときの感情に流されて

自分自身にも流されている。

忘れたい過去とか

将来の不安や他人の感情に悩み

振り回されているうちは

真剣に生きることなんて

できないのだろう。

自分自身が真剣に

生きることもできていないのに

他人の不真面目なことや

自分に責任がないことには敏感で

目くじらを立てながら

ここぞとばかり

真剣に装ったりする。

他人のどうにもならないことに

時間を費やすより

自分のどうにかなることに

もっと真剣に向き合いながら

時間を費やしていくほうが

賢い人だと思うのである。

自分の人生が

後何日で終わるかなんて

わからないことだけど

自分に残された日数の中に

真剣に生きる日を

どれだけ増やす努力をするか、、、

そんなことが

大切なのかもしれない。

しかし

真剣に生きることが

どんなことなのか

イマイチ理解していない時点で

それができるのかという不安に

振り回されてしまう気がするので

毎日真剣に生きるということは

そう簡単にできることではないと

思うのである。

ほなまた