ノリで生きる

夢や希望を持っているほうが

ちゃんとしている人だと

思われやすい。

だから何となく仕方なく

半信半疑のまま

自分の夢や希望を

語ったりするときもある。

ときどき

自信に満ち溢れた顔をして

夢や希望を語ってくる人は

心からそう思っているのかと

疑問に思うことがある。

そんな人たちこそ

自分はちゃんとしている人だと

思われたい気持ちが先走り

単純にそのときのノリで

夢や希望を語っているように

思えたりするのだ。

なぜかというと

次に会って話したときに

以前語ってた夢や希望が

すでに変わっていて

気持ちや思いが

ブレまくっていることが多い。

だったら初めから

自分はノリで生きてます、、、

そう語ればいいと

思うのである。

意味がわからないことばかり

起こりまくっているこの世の中に

何も期待できなくなっていて

建前では夢や希望を語るけど

本心はノリで生きている、、、

そんなふうになる気持ちは

わからないでもない。

ノリで生きるといういことは

マイナスなイメージがあるけど

人に誇れるような目標がなくても

自分の目の前に現れた

やるはめになってしまったことを

仕方なくノリでこなしていれば

もしかしたら

その先に自分がやるべきことや

使命感みたいなことが

生まれるかもしれない。

もともと低脳で学歴がないような

おバカな僕らには

ノリで生きていくほうが

性に合っている。

地位や学歴があるはずの

国を動かす最近の人たちも

僕らと同じように

その場のノリで

生きているようにしか

思えなかったりするから

ノリで生きるということは

まんざらでもないのである。

はなまた