メイドの土産

まぎれもなく私は

50歳に近づきつつある。

もしかしたら

もう自分の人生の半分は

過ぎてしまったのかもしれない。 

もし今死んでしまったとしたら

冥土の土産は

何にしようかと考える。

多分

冥土の土産とは

あの世でずっと楽しめる

思い出話しなんだと思われます。

こんなことなんて

考えもしなかったけど

そろそろ今迄の思い出を

冥土の土産のために

整理し始めるのも有りかな、、、

なんて思うのである。

これから先は

いつ死んでもいいように

心残りしない食いを残さない

そんな生きかたをして

冥土の土産を

もっと増やしていかないと

退屈な冥土の生活に

なってしまうのである。

こんな発想は

死期の近い年寄りが

ささやかな幸せに

巡り会ったときに思うことで

これで冥途の土産ができた

なんて口にする

年寄りのほとんどが

旅立つ準備ができたにもかかわらず

しぶとく生き続けたりもするのだ。

最近は

まだまだ死にたくないと思うので

何かにつけて冥土の土産ができた

なんて言ってれば

あの年寄りたちのように

しぶとく生き続けられる、、、

かもしれない。

あの世にどのくらいの土産を

持っていけば気が済むのかなんて

あの世に行ってみないと

わからないものである。

ほなまた