共育すること

誰かに教える

ということは

そう簡単なことではない。

誰かを育てる

ということも

そう簡単なことではない。

誰かと共有する

ということも

そう簡単なことではない。

誰かに教えてもらう

ということは

簡単なこと。

誰かに育ててもらう

ということも

簡単なこと。

しかし

誰かと共有する

ということだけは

そう簡単なことではない。

始めから

全て分かっている人なんて

誰もいない。

だからはじめは

誰かに教えてもらう。

誰かに教えてもらって

育つことができたなら

今度は自分が誰かに

教えてあげる。

組織として

誰かに教える

ということは

自分の考えだけを

教えればいい

というわけではない。

みんなで教えることを共有して

なるべく同じ教育を

していかなければ

ならないのである。

教育されて教育して

共育していくということ。

教育を周りの人たちと

共有することができないと

浮いてしまうことだろう。

技術や考えかたや

方向性の共有を学んで

教えて育てて共有することが

共育なんだと思うのである。

多分

共有の先には

素晴らしい個性があると

思うのである。

ばいなら