づれづれ草

づれづれなるままに

一日中携帯に向かって

心に浮かんでは消えていく

何でもないことを

なんとなく書きとめると

怪しくも狂おしく

苛立つ感じになる。

人は容姿やルックスが

美しいほうが得なのは

当たり前のことであり

 素晴らしいものだと思う。

こればっかりは

先天的なことなので

今の時代だと

メスを入れない限り

容姿やルックスは

変えることはできない。

そんなことよりも

下らない話しでも

いつも笑顔で聞いてくれて

素直で愛敬があり

言葉数は多くなくても

一緒にいると心が休まる、、、

こういう人こそ

飽きずに付き合える人なのだ。

容姿やルックスの良さだけで

いいなと見ていた人が

思っていたよりも

劣った本性が見えるのは

本当に残念なこと。

容姿やルックスこそ

先天的なことだけど

どうしても心だけは

良い方向に磨けないことがある。

ルックスや心ばえがいい人も

後天的に学問をしたり

才能を磨いたりしなくなると

品位は下がり

下品な顔立ちの人の間に立ち混じり

たちまち影響を受けて

ダメになってしまう。

これは不本意なこと。

先天的の容姿やルックスは

その後の生きかたにおいて

上品にも下品にも変わる。

先天的に美貌がなければ

後天的に努力すれば

内面から美貌が生まれて

メスを入れなくても

美しい人になれるのだ。

先天的に美貌がないにもかかわらず

後天的にも下品な人は

ずるずるのままの

づれづれの人生に

なってしまうのである。

つれづれなるままに、、、

と松陰様は言っております。

(吉田松陰 ”徒然草”から 引用)

ほなまた