傷の舐め合い

他人の痛みを理解できる

ということは

素晴らしいことだ。

そんな人は周りから

頼られたりするのだろう。

自分たちの中にある痛みを

理解し合えることは

大切なことだけど

痛みを理解し合うことが

傷のなめ合いになってしまうと

なんの意味もなくなる。

傷を舐め合うことは

似たような負の状況である人たちが

甘やかし、なぐさめ合うこと。

自分の辛さや痛み、悩みなどを

誰かと共有すれば

その時の苦しみは薄れると思う。

でもそれは

根本的な解決にはならないで

その場しのぎの行動となり

今より先に進むことはできないし

それ以上のものは

何も生まれない。

頻繁に傷の舐め合いをしていると

傷の舐め合いの場に

似たような負の状況の人が

集まりはじめて

似た者同士で徒党を組む。

徒党を組むことによって

問題が解決すればいいけど

そんなことはありえない。

いつしか

傷の舐め合いをしていたつもりが

下の舐め合いに

変わることもあるので

注意して欲しい。

結局は

傷の舐め合いをしていても

問題を解決するのは

自分自身なのだから

自立心を持たなければいけないのだ。

自立した上で

人に頼るということは

問題ないと思う。

とにかく、

自分が成長しない限り

負の状況から逃げ出すことは

できないのである。
 
ほなまた