多分
そのものは
やる気がないわけでもないし
危機感がないわけでもない。
何をやらなければいけないのかも
わかっているはずだ。
わかってはいるけど
そのやりかたの方法までは
良くわからないのかもしれない。
やりかたと言うより
そのものを変える手段がわからない。
だったら
周りが助ければいいと思うだろう。
しかしそのもの自体に
自分の時間を割いてまで
助けなくてはいけないものなのか?
時間を割いても未来が
1レベルしか変わらないことより
5レベル変わるかもしれない可能性に
自分の時間を割いてあげたいと思う。
そのものが
良いとか悪いとかの問題じゃなく
誰しもがどう考えても
無理だと思うことに
連帯は組みたくない。
そのものの変化を望むより
可能性があるのに
上手くそのものを表現できなくて
評価されにくそうになっている
そのものの状態を
変えてあげたいと思ってしまう。
明るい未来を見据えて
今から少しづつ
変えなければいけないことがある。
10年かかるそのものと
3年かかるそのものだとしたら
3年かかるそのもののほうが
明るい未来に
適しているのではないか?
みんなの生活にかかわることだから
ハイリスク・ローリターンより
ハイリスク・ハイリターンを
選んだほうが確実に利口だと思う。
個人的には
ローリスク・ローリターンがいい。
連帯責任でみんな坊主になる
なんてことをたまに聞く。
これは男性の文化であって
女性のあいだでは
あまり聞いたことがない。
連帯責任なら女だろうが男だろうが
みんなでやるべきですね。
直接ではないそのものたちが
連帯責任で坊主なんて
やっぱりおかしな話しだ。
メインとなるそのものが
坊主、もしくはおまけで
刈り上げをしたのならば
僕たちそのものたちも
快く坊主になろう。
やっぱり良く考えると
矛盾していることばかりなので
やっぱり坊主はゴメンですね。
結局は
そのもの自体が
良くわからんのですが、、、
さよなら
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